漫画アニメ規制問題~オタクだから気づいた山田太郎議員の危険性~

“表現規制反対派”山田太郎議員の欺瞞を暴く。

「表現の自由」という主張ではぐらかし続ける山田太郎議員界隈の不真面目さ

山田氏界隈は事あるごとに「表現の自由を守れ」と訴える。

だがそれは欺瞞の塊と言わざるを得ない。

表現の自由」とは、何かを主張しているようでじつは何も主張していない。

 

山田氏はよく

自民党の誰それから『表現の自由』を守るという約束をしていただきました」

というようなことを言う。

だがこの約束は無意味である。

表現の自由」を、現行の日本国憲法は国家の枠組みを超えた根源的、普遍的権利(自由権)として保障しているが、同時に公共の福祉の観点、権利同士の調整等で制限されうることも否定していない。

表現の自由を守る」ことと規制とは何ら矛盾するものではなく、「表現の自由を守る」としても規制はできる。その約束はあってないようなものだ。

相手の、ある種の表現を規制すべきという主張に対し、「いや、それは表現の自由に対する侵害だ」と反論するのはふざけた態度である。

 

ではなぜ氏はそのような不誠実な態度を取り続けるのであろうか?

 

www.tokyo-np.co.jp

 

以下のリンク先よりこの文書のダウンロードができます。

sinseiren.or

 

自民保守派は漫画やアニメの規制を執拗に目指しているが、彼らが標的としているのはアニメなどの萌え系キャラクターのデザインであり、それを愛好するセクシャリティである。

オタク文化の中核をなす「萌え」や「BL」を排除しようとするのは、彼らの根源的な価値感に基づくもの、すなわちアイデンティティそのものであり、折り合うことは絶対に無理なのだ。

彼らに漫画アニメ等の規制を思いとどまらせようとするのは、選択的夫婦別性や同性婚を認めるよう求めるのと同じである。

特定のセクシャリティの権利の擁護、セクシャルマイノリティの問題として主張を始めた途端党内保守派と衝突することになる。

自民党議員のポジションを維持したい山田氏にとってそれは甚だ都合が悪い。だから「表現の自由」という、なんだかよくわからない主張でお茶を濁し続ける。

表現の自由」を言い続け、この問題がいつまでも決着つかずに宙ぶらりんな状態でいることは、氏にとって都合のいいことでもある。適度に“フェミニスト”などが攻撃してくれたほうが自分の価値を維持できる

党側も山田氏は使い道があるので「表現の自由」までは容認しているのである。そのような主張を山田氏に続けられても何の差しさわりもない。時機が来ればいつでも規制はできる。山田氏が(+赤松健候補が)自民党内部で規制を食い止めるために自民党に入るとするのは欺瞞であろう。

 

表現の自由」という的外れな主張のおかげで、規制反対派界隈には、「表現の自由」を盾に、他者の人権を踏みにじってでも自分たちの描きたいものを描く自分勝手な連中という不名誉なイメージがついてしまった。

 

昨年日本共産党が規制推進派に鞍替えしたとして規制反対派界隈で反発の声があったが、規制反対派が「表現の自由」でごまかし続けてきたツケだろう。

規制反対派が日頃から特定のセクシャリティの権利としてきちんと主張してきたなら、日本共産党は一”フェミニスト活動家”の讒言などまともに取り合わなかっただろう。きちんと説明しなければ相手にだって伝わらない。共産党関係者とて漫画やアニメ文化の事情に詳しいわけではないだろうから。